楠田祐の「人事・思想導標」vol.3
会社を沈めるのは、嵐ではない。「知ったかぶり」である

会社を沈めるのは、必ずしも大嵐ではありません。

海運王・山下亀三郎の人生から学ぶ心理的安全性と人材登用について考察します。

現場が危険を察知しているのに、誰も「前方に暗礁があります」と言えない。社長がすべてを知っている顔をしているため、会議室が沈黙に包まれる。そんな組織のほうが、よほど危険です。

役員会議で最も高くつく積み荷は、経営者の「知ったかぶり」なのかもしれません。

現在の商船三井へとつながる山下汽船を興し、「海運王」と呼ばれた山下亀三郎。その生涯から見えてくるのは、未来を読む力だけではなく、人を見いだし、任せ、その力を引き出すリーダーシップです。

第一章 庄屋の末っ子、海へ出る

山下亀三郎は1867年、現在の愛媛県宇和島市に、庄屋の家の末っ子として生まれました。

旧制中学校を中退して故郷を離れ、代用教員を経て上京。明治法律学校、現在の明治大学に学びますが、ここも中退します。その後、石炭取引の世界に入り、海上輸送の可能性に気づきました。

失敗し、借金を抱え、人に頭を下げながら動き回る姿から、「泥亀」と呼ばれたともいわれます。しかし、その亀は歩みを止めず、やがて大海へ乗り出しました。

第二章 先見の明とは、早く動く力である

1903年、亀三郎は多額の借金をして中古の英国船を購入し、「喜佐方丸」と名づけました。

その背景には、同郷の秋山真之(あきやま さねゆき)からの助言があったとされています。戦争が近いという情勢を踏まえ、船を持つべきだと勧められたのです。

秋山真之は伊予松山藩士の家に生まれ、1903年には海軍少佐として連合艦隊参謀に就任し、後に海軍中将となりました。山下亀三郎は旧吉田藩内の出身で、山下が慶応3年、秋山が慶応4年生まれのほぼ同世代でした。二人は強い信頼関係で結ばれていました。」

秋山真之は松山藩。海軍中将・参謀。山下亀三郎は宇和島(吉田藩)の出身で、ほぼ同年齢(慶応3年・4年生まれ)でした。互いに強い信頼関係で結ばれていました。

喜佐方丸は政府の御用船となり、第一次世界大戦による輸送需要の拡大も追い風となりました。

ただし、亀三郎は単なる「船成金」ではありません。戦後の海運不況に備え、自社船だけでなく、他社の船を借りて運航する柔軟な経営を展開しました。現在でいうアセットライト型の発想です。

先見の明とは、未来を完璧に当てる力ではありません。変化の兆しをつかみ、修正できる余白を残しながら、誰よりも早く動く力なのです。

第三章 「知ったかぶりをしない」という能力

亀三郎の言葉として、次の言葉が伝えられています。

「人を使おうと思うなら、自分があまりものを知っていてはいけない」

山下亀三郎の言葉として伝えられています。

これは、無知であれという意味ではありません。自分の知識だけで会社を動かすな、という戒めです。

経営者が何でも知っている顔をすれば、部下は考えなくなります。何を提案しても社長の答えが決まっているなら、やがて「社長のおっしゃる通りです」が社内の共通言語になります。

会議時間は短くなりますが、会社の寿命まで短くなるかもしれません。

亀三郎は学歴だけで人を選ばず、若手を海外へ派遣し、成果を上げた人材を支店長や役員に引き上げました。そこにあったのは、「自分より詳しい人間がいること」を恐れない経営でした。

第四章 心理的安全性は仲良しクラブではない

心理的安全性とは、間違いを報告し、上司に異論を述べ、「分かりません」と言っても、恥をかかされたり排除されたりしない状態です。

もちろん、亀三郎がこの言葉を使ったわけではありません。しかし、学歴や年齢にかかわらず人を登用し、大きな仕事を任せた姿勢には、その原型を見ることができます。

心理的安全性とは、失敗を何でも許すことでも、海を穏やかにすることでもありません。

波が高いときに、誰もが「波が高い」と言えることです。

リーダーが自分の限界を認めれば、社員も「分かりません」「危険です」「別の方法があります」と言えるようになります。

第五章 人との関係が未来を運ぶ

秋山真之は、亀三郎に情報を与えただけの人物ではありません。二人は生涯にわたって親交を深め、病に倒れた真之は1918年、亀三郎の小田原の別邸「対潮閣」で最期を迎えました。

優れたリーダーは、一人で未来を見るのではありません。

信頼できる人から学び、自分とは異なる専門性を借り、それを決断へ変える。亀三郎の先見性は、孤独な天才の直感ではなく、人との関係のなかで磨かれたものでした。

第六章 船は沈んでも、人は残る

亀三郎は、海運事業で得た財を教育や郷里の発展にも投じました。

故郷に女学校を設立し、学校、病院、防波堤、運河などの整備にも私財を投じました。1940年には寄付を基礎として山水育英会が設けられ、その教育事業は戦後、桐朋学園へと受け継がれました。

船はいつか役目を終え、会社も合併や再編によって名前を変えます。しかし、人を育てるために投じられた志は残ります。

亀三郎が残した最大の資産は、所有した船の数ではなく、自分の力を信じて仕事に挑戦した人々だったのではないでしょうか。

終章 リーダーは答えではなく、余白をつくる

不確実性の高い時代に、リーダーがすべての答えを持つことは不可能です。

必要なのは、正解を独占することではありません。自分の限界を認め、他者の知恵が入ってくる余白をつくることです。

未来を読む洞察力。決断したら動く果断さ。肩書を超えて人を見いだす力。そして、「知らない」と言える強さ。

山下亀三郎のリーダーシップの核心は、「知ったかぶりをしない勇気」にあったのではないでしょうか。

心理的安全性とは、波のない海を用意することではありません。荒波のなかでも、誰もが声を上げ、知恵を持ち寄り、同じ船を沈ませまいと力を尽くせる組織をつくることなのです。

2026年8月13日 著 楠田 祐

「知ったかぶりをしない」を歌にしました。

今回のテーマとも重なる私のオリジナル曲が、タワーレコードのYouTubeで公開されています。

Victorさんにミキシングとマスタリングを手がけていただきました。ぜひ、お聴きください。

Yuu Kusuda & Friends

「知ったかぶりをしない」

作詞・作曲:楠田 祐

YouTubeで「知ったかぶりをしない」を聴く

今日の一句

知らぬこと

知らぬと言える

勇気こそ

知ったかぶりを

しない礎

出典・参考文献

  1. 山下亀三郎『沈みつ浮きつ』山下株式会社秘書部、1943年。四季社、1951年復刻版。国立国会図書館デジタル資料
  2. 白戸伸一「『船成金』と呼ばれた海運王・山下亀三郎――その1 教育への眼差し」明治大学史資料センター、2023年。明治大学
  3. 白戸伸一「『船成金』と呼ばれた海運王・山下亀三郎――その2 山下独特の天稟」明治大学史資料センター、2023年。明治大学
  4. 渋沢栄一「近頃の人では山下氏」『実験論語処世談』。山下の人物鑑識眼と人材登用についての同時代資料。渋沢栄一記念財団
  5. 国立国会図書館「山下亀三郎|近代日本人の肖像」。国立国会図書館
  6. 宇和島市「宇和島の偉人03 山下亀三郎は○○王?」。生涯、喜佐方丸、秋山真之との関係、教育・郷土貢献について。宇和島市
  7. 国立公文書館アジア歴史資料センター「秋山真之」。連合艦隊参謀就任、海軍中将昇進などの略歴。アジア歴史資料センター
  8. 小田原市「対潮閣」。山下亀三郎の別邸と秋山真之終焉の地について。小田原市観光マップ
  9. 学校法人桐朋学園「学園のあゆみ」。山水育英会から桐朋学園へ至る沿革。桐朋学園
  10. Amy C. Edmondson, “Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams,” Administrative Science Quarterly, Vol.44, No.2, 1999, pp.350–383. SAGE Journals
  11. 青山淳平『海運王 山下亀三郎――山下汽船創業者の不屈の生涯』光人社、2011年。昭和館デジタルアーカイブ

(ウェブ資料は2026年8月13日閲覧)

過去の「人事・思想導標」はこちら