楠田祐の「人事・思想導標」vol.2

40年ぶりの労働法改正の意味と働き方の考察
~ 柔軟に働きながら学び続ける変化適応人材 ~
「40年ぶりの労働法改正」という言葉を耳にする機会が増えてきました。1947年制定の労働基準法を前提としてきた日本の働き方のルールを、デジタル化、高齢化、人手不足、リモートワーク時代に対応させるために見直そうという議論です。1987年のフレックスタイム制度導入以来の大きな転換とも言われています。
もっとも、2026年通常国会への法案提出は見送られ、現在も労働政策審議会などで議論が継続しています。したがって、現時点では最終決定された制度ではありません。しかし、議論の方向性から見えてくるのは、日本社会が求める人材像そのものの変化です。
議論されている主な内容としては、14日連続勤務の禁止、勤務間インターバル制度の義務化、「つながらない権利」の導入、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度の見直し、テレワークや副業・兼業への対応などがあります。これらに共通するテーマは、「長時間働くこと」から「持続的に働くこと」への転換です。
昭和から平成にかけての日本企業では、決められた時間に出社し、決められた業務を着実に遂行できる人材が評価されました。私はこれを「適合型人材」と呼んでいます。与えられた環境やルールに適応する能力が重視された時代です。
しかし現在は、生成AIの普及、産業構造の変化、少子高齢化、地政学リスクなどにより、企業を取り巻く環境そのものが激しく変化しています。そのため企業が求める人材は、決められたルールに従う人ではなく、変化に対応しながら自ら学び続ける人へと変わりつつあります。
近年注目されているラーニングアジリティ(Learning Agility)とは、未知の環境や経験から学び、その学びを新しい状況に応用する力です。過去の成功体験に依存せず、新しい状況に対して柔軟に思考し行動できる能力と言い換えてもよいでしょう。
この考え方を理解する上で参考になるのが、文化人類学者でありシステム論の先駆者でもあった グレゴリー・ベイトソン の学習理論です。
ベイトソンは学習を複数の階層で捉えました。学習Ⅰは既存のルールの中で上達することです。受験勉強やリスキルによるeラーニング研修が代表例です。一方で学習Ⅱは、そもそもの前提や考え方を変える学習です。「何を学ぶか」だけでなく、「なぜそう考えるのか」を問い直す学習とも言えます。これは生成AIで奥深く学びて続ける人の行動を観察すると最もだと思うのです。薄くない議論が出来るように進化するのです。
これまでの日本企業は学習Ⅰを重視してきました。与えられた仕事を正確に遂行し、経験を積み重ねることで成長してきたのです。しかし変化の激しい時代に求められるのは学習Ⅱです。過去の成功体験を疑い、新しい働き方や新しい価値観を受け入れる力が必要になります。
今回の労働法改正の議論も、単なる労働時間規制の見直しではありません。働く人に休息と自律性を与え、その時間を学習や成長に活用できる社会へ転換しようというメッセージとも読み取れます。
ここで企業人事に求められる視点は、「採用」と「育成」を別々に考えないことです。
私は、エンプロイジャーニーという考え方を重視しています。認知、応募、選考、内定、プレオンボーディング、入社、配属、育成、評価、成長、昇進、希望、異動、管理職登用、シニア活躍、退職・アルムナイまで、一人の社員のキャリアは一本の線でつながっています。
その中でエンゲージメントは常に変化します。期待が高まる時期もあれば、不安や迷いが生じる時期もあります。特に入社前から入社後3年間は、期待、不安、混乱、適応、成長を繰り返します。企業はこのプロセスを製造業における品質管理のように捉える必要があります。
採用担当者が採用だけを担当し、育成担当者が育成だけを担当するという縦割り発想では、これからの時代は乗り切れません。人的資本経営とは、人事だけの仕事ではなく、経営陣、現場管理職、人事部門が一体となって人材の成長を支援する経営そのものだからです。
さらに注意したいのは、人事が流行やブームを追いかける「チェリーピッキング」に陥らないことです。SNSや展示会、イベントでは魅力的な人事施策が次々と紹介されます。しかし、他社がやっているから自社も導入するという発想は戦略ではありません。
経営学者の マイケル・ポーター は、戦略とは競争優位を構築することであると述べています。人事も同様です。重要なのは流行を取り入れることではなく、自社の競争優位につながる人材戦略を構築することです。
40年ぶりの労働法改正の議論は、単なる制度改正ではありません。それは「長く働く人材」から「変化に適応しながら学び続ける人材」への転換を象徴する出来事です。
これからの企業に求められるのは、社員を管理する組織ではなく、社員が学び続けられる環境を提供する組織です。そして個人に求められるのは、与えられた仕事をこなす能力だけではなく、自ら学び、自ら変化し、自ら成長する能力です。
40年ぶりの労働法改正の本質は、「働き方改革」ではなく、「学び方改革」にあるのかもしれません。柔軟に働きながら学び続ける変化適応人材こそが、これからの時代の主役になるのでしょう。
2026年6月末 筆