「三愛精神」をデジタル時代にどう受け継ぐか
― 創業の精神を基盤に、顧客価値を再定義する|株式会社リコー 長久良子 × 株式会社ABABA 久保駿貴

90年の歴史とアセットを持ちながら、モノづくりからデジタルサービスの会社へと変革を進める株式会社リコー。最終面接で落ちた友人の姿から生まれたサービスを起点に、「隣人を助けよ」を掲げて新卒採用の常識を変えようとするABABA。世代も規模もまったく異なる二社のリーダーが、HR界の第一人者・楠田祐氏を聞き手に語り合ったのは、「変えてはいけないもの」と「変えていくべきもの」でした。
リコーの「三愛精神」とABABAの「隣人を助けよ」。二つの志がいかに響き合うのかーー互いをリスペクトし合うリーダーの言葉から、これからの時代に必要な顧客価値の再定義、自律型人材の育成、そしてリーダーのあり方が浮かび上がります。
プロフィール
長久良子(株式会社リコー コーポレート執行役員 CHRO)
1993年3月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年4月日産自動車株式会社 部品事業部海外部品部入社、2001年4月より人事部門に異動、2018年4月ボルボ・カー・ジャパン株式会社入社 人事総務部ディレクター、2021年4月株式会社リコー入社 人事部HRBP室室長、人事部タレントアクイジション室室長、2022年4月人事部人事室室長・人事部タレントアクイジション室室長、2023年2月人事部人事室長、人事部タレントアクイジション室室長、プロフェッショナルサービス部人事総務センター所長、同センターHRIS室室長、同センター人事サポート室室長を経て、2024年4月より現職。
久保駿貴(株式会社ABABA 代表取締役)
1997年生まれ。兵庫県明石市出身。岡山大学4年次、友人が就職活動を通して“うつ状態”になったことを機に就職活動の過程が評価されるスカウト型サービス『ABABA』を開発。約3,000社の企業と累計約14万人の就活生が利用するまでにサービスを拡大。累計19.2億円の資金調達を実施し、最年少で経団連に入会したほか、経済産業大臣賞、東京都知事賞など数々の賞を受賞。東京MX「堀潤モーニングFLAG」にてコメンテーターも務める。
楠田祐(ファシリテーター)
NECなど東証一部企業3社の社員を経験した後にベンチャー企業社長を10年経験。会長を経験後に中央大学大学院ビジネススクール客員教授(MBA)を7年間経験。2015年は日テレのNEWS ZEROのコメンテーターを担当。2016年より人事向けラジオ番組「楠田祐の人事放送局」のパーソナリティを担当。2025年12月に370万ダウンロード達成。プロデュースする大企業の人事対象スクール卒業生は3000人以上。シンガーソングライターとしても活躍し、これまでに5枚のCDアルバムを発売している。テレビ出演歴は、フジテレビ めざましテレビ、テレビ東京 60秒で学べるNews 、テレビ東京 WBS(ワールド・ビジネス・サテライト)、日本テレビ シューイチ、日本テレビ NEWS ZERO 。
変えないものが、2つある
楠田:本日は「創業の精神を基盤に、顧客価値を再定義する」というテーマでお話しできればと思っています。長久さんは日産、ボルボを経て、今はリコーのコーポレート執行役員CHRO。久保さんはForbes JAPANの「30 UNDER 30」に選ばれた起業家。世代も業種も違うお二人ですが、どこかでつながる対談になればと。
まず、2026年3月に公開された中期経営戦略を読んできました。リコーの創業の精神である「三愛精神」――『人を愛し 国を愛し 勤めを愛す』を、デジタル時代にどう解釈すればいいのか。一言いただけますか。
長久:リコーは2020年に「デジタルサービスの会社」へと変革することを宣言しました。そこから、「変わらなければいけない」フェーズにずっとあります。ただ、その中で絶対に変えられないものが2つあります。1つが「三愛精神」という創業者・市村清が提唱した創業の精神。もう1つが「お客様に寄り添う」ということ。この2つは何があっても変えないことが企業としての意志でありまして、三愛精神は私たちのDNAそのものです。
楠田:「三愛精神」は、英語でなんと言うのでしょうか。
長久:「The Spirit of Three Loves」です。「Love your neighbor, Love your country, Love your work」。『Love your country』のところは、この時代なら『Love your planet』だろうと。そうやって新しく解釈し直しながら、三愛精神を受け継いでいこうとしています。

「働く人に寄り添う」――OAからAIへ、変わらない思想
楠田:三愛精神は普遍的なものだけれど、ビジネスとしてのお客様への寄り添い方は、時代とともに変わって来ますよね。
長久:リコーの根っこにあるのは「働く人に寄り添う」という考え方です。社員もお客様も含めて、すべての働く人に寄り添う。OA(オフィスオートメーション)という言葉は、リコーが1977年に提唱していますが、「機械にできることは機械に任せ、人はより創造的な仕事をするべきだ。」という思想でした。今「人ができることとAIができることの分業化」と言われていることと、本質は同じです。人がより高い付加価値の仕事に向かっていくという考え方です。
楠田:久保さんは、ここまで聞いてどう感じますか。
久保:トップメッセージとして「働く人」に焦点を当てている。その理由は、何かあるんですか。
長久:私たちは創業以来、複写機などのオフィスプリンティングを中核に、お客様の”はたらく”の変革を支えてきました。そこで培ってきた顧客基盤や顧客接点、自社IPといった強みがあります。今、リコーは提供する価値としてデジタルサービスに注力していますが、そこに変わらずにいるのは働く人です。私たちの使命は、“はたらく”に寄り添い、変革を起こし続けること。強みを活かしながら、働く人へ価値を提供し、創造力の発揮を支えています。
モノづくりから、ソリューションへ。顧客価値をどう再定義するか
楠田:従来のモノづくりから、デジタルサービスへと価値の置きどころが移っているように感じますが、具体的にはどう進めているのでしょうか。
長久:オフィス文書の電子化・ペーパーレス化の進展や、企業のDX推進による世界的な印刷需要の縮小は、私たちのオフィスプリンティング事業にとって対処すべき課題です。そのため、2020年に「デジタルサービスの会社になる」と宣言しました。
それに伴い、これまでオフィスプリンティングに携わっていた人材のリスキリングを進め、今は、IT基盤や会議システムなど、ワークプレイスのインテグレーションまで手がけられるようになっています。
楠田:リコーのプロジェクター、映りが本当に綺麗ですよね。
長久:光学系の技術は素晴らしいものを持っています。そんなプロジェクターを含む会議室関連のサービスを提供できる販売・サービス体制をグローバルで整えているのも強みです。
世界中の拠点に同じ会議システムを入れて、どの国でもサポートが受けられます。グローバル随一のインテグレーターになること。それが今回の中期経営戦略の大きな柱の一つです。

「自律型人材」と、リコー式ジョブ型のリアル
楠田:事業が変わるなら、社員も変わらなければいけない。変革を進めるうえでの「社員の自律」を、どう捉えていますか。
長久:2021年にスタートした第20次中期経営計画から「自律型人材が必要だ」と言い始めました。ソリューションビジネスでは、お客様ごとに課題や求める価値が異なります。つまり、現場のセールス一人ひとりが自ら考え、お客様に最適な提案を行う必要があり、全員が自律的に考え、行動できる人材になることが大切なんです。
楠田:キャリアの自律についてはどのように考えていますか。
長久:リコー式ジョブ型人事制度を2022年に導入しました。若手がマネージャーに上がってきていて、30代の初級管理職比率が11.4%まで増えました。導入前は2.5%でしたから、短期間でかなり変わった印象です。違うバックグラウンドの人が多様な意見を発信しても、受け止められる雰囲気になってきています。
楠田:価値観・意見のダイバーシティが浸透してきた、ということですね。現場の「とはいえ……」といった逆風のような声は、出てこないんですか。
長久:それがあまりないんです。制度について社員に丁寧に説明し、その意義を理解してくれているからだと思います。この制度は、導入が目的ではなく、「会社が変わるために必要だ」と、経営層も同じ危機感を持って議論を重ねたうえで導入したことが結果に繋がりました。
久保:今の自律型の話、営業・サービス・生産などの現場に、一気通貫で意識されていますね。会社全体で変革に向かっているのが伝わってきて感銘を受けました。

グローバルに根づく「The Three Loves」
楠田:「Love」という言葉をグローバルで使うことに、文化の違いはありませんか。
長久:実は「Love」という言葉を使うかどうか、社内でかなり議論があったそうです。非英語圏では「Loveは重い」という声もありましたが、むしろ「Love」は英語圏では日常的には使う表現であるということが認識できたことで「The Spirit of Three Loves」に落ち着きました。
海外のメンバーでも三愛精神を大事にしているシーンも見られていて、彼らから教わることも多いです。創業の精神をもう一度紐解いて理解し、歴史を知ってこその未来だと思っていますので、幹部教育にも取り入れて行こうとしています。
楠田:創業90年。2036年が100周年ですね。
長久:100周年に向けて、創業の精神を深く理解し、カルチャーとして根づかせていく。それが今、いちばん大事なことだと思っています。
楠田:デジタルに行けば行くほど、生身の人間や、情熱や心が大事になってくる。それを見直すのが、80年・90年というサイクルなのかもしれませんね。
長久:非人間的なことが進むほど、人はバランスを取ろうとするんです。それを事業活動の中でやっていくことなのかな、と思います。
久保:創業者の想いを次世代に残していく活動は、本当に大事ですよね。
「人事は、特別ではない」
楠田:人事という仕事で、変わってほしいこと、変わってはいけないと思うことはそれぞれありますか?
長久:まず「人事は特別ではない」と思ってほしいです。給与や人事情報を見られるのは仕事の一部であって、人事の役割は“会社が事業目標を達成するためにプロデュースする”こと。自分たちの顧客は経営と社員であり、人事メンバー自身もお客様であるということを忘れずに、何事も「自分も社員として取り組むこと」だと思ってほしいです。
楠田:自らも実践する、ということですね。
長久:それから、リーダーには「チャーミングさ」や「可愛げ」も必要だと思っています。知ったかぶりをせず、「わからない、教えて」と言える勇気。それが心理的安全性を生みますし、人の成長を加速させるフィードバックにもなります。
久保:ベンチャー企業で人事組織を作っていくうえでも、その意識はすごく参考になります。
長久:大きい会社でも同じです。チームでパズルを完成させるように、足りないピースを補い合えばいいですよね。
楠田:いい言葉ですね。パズルのように組織を作っていくと。
長久:はい。欠けているところは、誰かに助けてもらえばいいと思っています。私もキャリアの途中で人事部門に異動して分からないこともあるので「教えてね」「助けてね」とチームメンバーに言っています。
楠田:それこそが、トップに求められる言葉の力ですね。対話の中で、互いに気づかされていく。
長久:社員と一緒に作り上げていく。それが、リコーの三愛精神にもつながっていくのかなと思います。

「隣人を助けよ」と「Love your neighbor」
楠田:久保さんのABABAが掲げる「隣人を助けよ」も、三愛精神の考え方と一致するところがありますよね。
久保:英語にすると、まさに「Love your neighbor」になりますね。創業のきっかけは、友人が最終面接で落ちて、心を病んでしまったことでした。その友人の課題を解決したい、というのが出発点です。僕たちは社会に貢献して、インパクトを出していきたい。「隣人を助けよ」という言葉を、メンバー全員が大事にしています。
長久:その「隣人」の定義は、どう考えているのでしょうか。
久保:今、ミッション・ビジョン・バリューを再定義していて、改めて「隣人」とは何かを考えているところになっています。ただ、「変わらない」軸として『人を助けること』はやっていこうと決めています。
長久:素敵ですね。助けが連鎖して広がっていく感じがします。
楠田:まさに、社会全体が目指すべきゴール。SDGsにも通じる話ですね。
長久:私たちの三愛精神も、今で言えばSDGsやサステナビリティに通じる考え方だと思っています。創業者の市村清が提唱して以来、社会やお客様に価値を提供し続けるという考え方を大切にしてきました。この考え方をふまえて働いていますが、営利企業として事業を成長させながら、その理念を実践し続けることの難しさは今この時も痛感しています。
楠田:過去のキャリアでは、そんなことはなかったのでしょうか?
長久:全然違いました。利益を創出できなければ評価されないことが当たり前の世界でキャリアを歩んできたので、三愛精神を重んじるリコーの環境は経験してきたものと違います。ただ、理念を大切にするだけでなく成果もしっかり出していくことが重要です。
今回、中期経営戦略の見直しを3年周期から5年先を見据えた毎年のローリングに変えたのですが、「単年度の事業計画は必ず達成するものだ」というマインドセットが30代の若手にもみられるようになってきました。理念と成果の両立に向けた意識が組織全体に広がってきたことを、みんなが喜んでくれたのは良かったですね。
楠田:SDGsと儲けること。そのバランスが、今の経営の難所ですね。
長久:特にヨーロッパを中心に、ESGの取り組みをやっていない会社とは契約しない、という流れが強まっています。社会に貢献することを、儲けることと同じくらい、あるいはそれ以上に大事にしている。それが三愛精神だと思っています。そこを売りにしつつ、どう収益とのバランスを取るか。大きな課題です。
楠田:90年の歴史を持つ大企業の変革と、創業6年目のスタートアップの挑戦。立場はまるで違うのに、「働く人に寄り添う」「隣人を助ける」という言葉は、驚くほど近いところで響き合っていました。創業の精神という変わらない芯を持つからこそ、顧客価値を大胆に再定義できる。そんなことを教えられた対談でした。ありがとうございました。